PROFILE STORYプロフィールストーリー

幼少期

1969年山口県で産まれる。生まれてすぐに父方の両親と同居。
天真爛漫で明るく素直な性格で、両親、祖父母、親戚から可愛がられる。
思ったことをそのまま言葉にしない大人の会話を聞きながら、
「どうして遠回しな言い方をするんだろう?そのまま気持ちを言えたほうが伝わるのに。」
と首をかしげ、大人のコミュニケーションに疑問を持つ子どもだった

小学校時代

同級生12人の小学校へ入学、小2で2人が転校。女子のリーダーだった子が転校し、Nさんが毎日日替わりで、誰かを仲間外れにしたり、いじわるをしたりするという日々が始まる。高学年になるに連れて、いじめはエスカレートしていく。”親や先生に言いつけると、もっといじめがエスカレートするのでは?”という恐怖から、わたしを含めいじめを受けている子は誰も大人には言わない。

心の中では、一生Nさんの奴隷のように生きなくちゃならない人生なら、何のために生きているのかわからない。死ねたらラクなのに・・・と考えるようになる。自殺・・・リストカットは痛そう。睡眠薬はラクなのかな?死について考えると親の顔が浮かぶ。

中学校時代

3つの小学校が合わさる地域の中学へ入学。Nさんの小学校時代のいじめが、他の小学校出身の同級生に知れ渡りいじめは終わるが、Nさんが仲間外れになる。「生きていてよかった!」と思う反面、Nさんを仲間外れにしてしまっていることで、“Nさんを許せない自分はNさんと同じいじめをしている”と感じ苦しむ。自分のことを肯定できないまま、時間は過ぎ、知らず知らずのうちにその気持は封印され、記憶から消される。

約25年後、カウンセリングによって掘り起こされる。

高校〜専門学校卒業

高校はいじめ時代の自分を知る人がいない高校へ入学。新しい人生のスタート気分。バンドを組んで、楽しく学生生活を送る。高校卒業後はスタイリスト、ヘアメイクなどのファッション業界へ憧れを抱き、上京して専門学校へ。田舎者であることにコンプレックスがあり、方言を直す。2年目の秋に現在の夫と出会い、付き合いはじめる。

専門学校卒業後は、江戸川区へ引っ越し、スタイリストのアシスタント、美容師の見習い、自営業の彼の事務仕事を手伝いながらファッション業界での 仕事を夢見て仕事をする。

恋愛と結婚

22歳頃、彼と別れ話しになり、”殺される”と思う体験をする。暴力的態度、言葉がトラウマとなり、彼に気を使い、怒らせないように同棲生活が始まる。この人と別れるときは、殺されるか、この人が死ぬ時だと思う。(注意:”殺される”と受け取ったのは私の感覚であり、実際に殺されそうになった訳ではない。)

結局、暴力的態度がトラウマになるきっかけとなった彼と26歳で、できちゃった結婚。出産後に、ふと、いじめに対応できる人になりたいと思い、カウンセラーという職業について図書館で調べるが、臨床心理士の情報しかなく、学歴が足りないと諦める。

子育て

1996年に長男を出産、1998年に長女を出産、2001年に次女を出産、3児の母となる。子育ては、夫の怒りに触れないように、ご機嫌がよくなるように、子ども中心ではなく夫中心の子育てに。自分のやり方を指摘され、夫から「鈴木家の嫁にきたんだから!」と言われるたびに、自分の意見や気持ちは言っても無駄だと思うようになって合わせるようになる。
 
夫が一緒の時間は「一緒にいるのになんで今そういうことするの?」と言われることが何度かあり、不満を言われないようにすることにエネルギーを注ぐ。夫のいる時間は、読書、音楽、映画など、好きなことはしない。夜出かける話しをするといい顔をされない・・・、夜の飲み会も断り続け、鈴木さんは誘っても来ない人と思われていた。節約家の夫に気を使い、友人とのランチも断る日々。自宅に友人を呼ぶことはOKだった。
 
子どもに対しては「パパが帰ってくるから片付けして!早くして!」と、夫の機嫌が悪くなるようなことを子どもがすると子どもに当たる。ゲガをすると、「どこ見てたんだ、一緒にいたんだろう。」と夫に言われることを恐れ、公園へ行っても子どもと楽しめず、ピリピリ、イライラする。夫の母親は専業主婦だったので、夫にとっては子どものこと家のことは母親がして当たり前。夫に合わせての子育てに疲れる日々が続き、心の中は、怒りが積み重なっていく。

図の連鎖が起こる。子どもの頃に受けたいじめを、自分が子どもに対してしていた。子どもは保育園の頃からチック(神経症)が出始める。子どもにとってのいいお母さんであることよりも、恐れから、夫や社会に評価されるいいお母さんになろうとしていた。

33〜39歳

33歳でパートを始め、勤め先で産業カウンセラーの存在を知る。34歳で、引っ越しをして江戸川区西葛西の子供会に入会、役員を経て会長を務めることとなる。地域のお母さんとつながることで、子育てについて考え始める。

36歳、カウンセラーになるために、民間のスクールで心理学の学びをスタート。自分の子育てがまずいと気づき愕然とする。学んだ傾聴を家庭で実践するが、上手くいかない。子どもには「繰り返さないで、気持ち悪い」と言われ、夫には「それで聴いてるつもりか!」と言われ、落ち込みながらも、家庭で実践していく。小5の息子が反抗期を迎え、「ママは僕がママのロボットだったら僕のこと好きなんでしょう」と包丁を持って心の叫びを訴える!

ハッとする。
苦しんでいたのは子ども。上から指図し親の言うことをきくように、子どもに命令ばかりして、子どもの気持ちを大切に扱っていない自分に気づき、泣きながら子どもに謝る。子育てが大きく変わり始め、息子のチックもおさまる。
・自分の価値観を押し付けない
・子どもに寄り添うことを意識する
親が自己満足するための子育てから、子どもを尊重する子育てへ!それに伴い、夫へ自分の意見を言う必要性がでてくる。勇気を振り絞り、自分の意見を言うようにする。

38歳~39歳の間に、3人の死。同じマンションフロアの小1の子どもが交通事故で他界し、朝送り出した子どもが無事に帰ってくるとは限らないことを実感する。また、息子の友人の母親が、子どもが不登校になり2年目に自殺。大きなショックを受ける!何かもっとやれることがなかったか・・・。そして、実母が末期がんで他界。生きているうちにやりたいことをやろうという気持ちを取り戻す。

現在

子どもたちとの関係は、ゆるやかに和やかに変化。夫へは、過去のトラウマのことを伝え、関係が少しずつ変わっていく。そして夫との関係といじめの体験が、子育てに大きな影響を与えていたことを心理学やワークショップによって自覚。特に、ゲシュタルト療法、インディアンの智慧やセレモニー、和みのヨーガによって得た気づきにより、家族の関係を再構築することができた。また、子どもの頃の天真爛漫で素直な自分を取り戻すのにも大きな力となった。
 
「俺が稼いで食わせてやってるんだから」という夫。「言うことを聞くから怒らないで」というわたし。「あなたの相手はわたしにしかできないわよ」という潜在意識の依存も手伝い、依存共依存の関係を、自らが作り出していたことに気づき、相互依存の関係性へ意識をシフト!これらすべての体験が、子育てで悩むお母さんをサポートする原動力となっている。

活動

2008年~ 
 江戸川区西葛西で自宅サロンをスタート カウンセリング、心理学講座を開催。
 Team Oasis ~カウンセリングをもっと身近に~をコンセプトとしたカウンセリングの勉強会を主催。
 
 
2009年       
 椎名ストレスケア研究所で半年間、鬱専門のカウンセリングを担当。保谷駅前公民館で女性講座を担当、6回講座を2年連続担当。
 
2010年  
 江戸川区で百武正嗣氏ゲシュタルトワークショップの主催をはじめる。(毎年秋に開催)
 
2011年  
東日本大震災の年に、和みのヨーガインストラクターとなる。
 
2012年  
地元の江戸川区でつながってみんなで子育てができるように、お母さんの居場所「縁が和」を丸山典子氏と始める。市川市のニート、引きこもりの認定NPO法人ニュースタート事務局で和みのヨーガ教室を担当、引きこもりの若者達と関わりはじめる。
 
2013年  
インディアンの知恵を盛り込んだ「THE・つくるキャンプ」の主催を千葉県の千の葉学園で開催しはじめる。江戸川区の子どもの学校のPTA、江東区の幼稚園のPTAの活動で、子育て講座開催。千葉県の千の葉学園でプロキョウイク者養成ワークショップ、火のワークを主催。
 
2014年  
清瀬市の保育園で子育て講座を2年間担当。

2015年
千葉県の千の葉学園で毎年12月に、スウェットロッジ・セレモニーの開催をはじめる。(毎年12月開催 現在は行っていません)

2016年
不登校の親に対してどう接したらいいか友人から相談がきたことをきっかけに不登校、引きこもりの親に寄り添う会Children’s heartをはじめる。

台東区「はばたき21」で、
「ゆるめて、放して、楽になる ココロとカラダの元気回復プログラム」を担当。

2017年~
カウンセリング、子育て講座、イベント主催を継続しながら、不登校、ひきこもりの子どもの自立を願う母親のサポートに力をいれ、現在に至る。

2018年~
認定NPO法人 ニュースタート事務局で、 引きこもりの若者へ訪問カウンセリング(ゲシュタルトセラピー)を提供する。

PAGE TOP